由緒・祭神・神徳

由緒・祭神・神徳

本社本殿内陣の西側の「龍」の天井絵

本殿内陣の天井絵 左の「龍」 

由緒

本社の名は元「八幡宮」、「八正宮」といい、維新後に「涼ヶ岡八幡神社(すずみがおかはちまんじんじゃ)」になりました。この地には、大同年間(806-809)に創立された「若宮八幡」という祠がありました。
 後醍醐天皇が元弘三年(1333)に北畠顕家を東北を治める陸奥の守に任じ、建武二年(1335)にその武将の白河城主結城宗広(白川道忠)を宇多郷(今の相馬市)の守に任じました。結城宗広はかねて信仰する八幡の宮を建てたいと場所を探したところ、熊野堂の館(現中野清水)の南に「若宮八幡」という祠があり、杉樹などの古木が繁茂し幽邃(ゆうすい、奥深く静か)であり適地であるとして、この地に「八幡宮」を建て、「若宮八幡」を摂社(せっしゃ、本社と縁のある神を祀っている神社)にしました。
 天文年間(1532-1555)に相馬氏の所領に代わり、その後相馬氏が代々本社を崇敬し、相馬中村藩の鎮守として祭典や修繕は全て藩費でまかなっていました。
 元禄七年(1694)になり、相馬家二十一代で相馬中村藩五代藩主の相馬昌胤が特に本社を崇敬し、新しく各宮殿を造営、境内を整備し、翌元禄八年(1695)に完成しました。総欅材(けやきざい)を用い、近郷でも群を抜く壮美な宮殿になり、「相馬日光」と称されました・
 明治六年(1873)に宇多郷25ヶ村の郷社になりました。平成24年(2012)、元禄八年に完成し現存する7棟全てが国の重要文化財に指定されました。

本社本殿の内陣中央の「鳳凰」の天井絵

本殿内陣の天井絵 中央の「鳳凰」

祭神

誉   田   別   命 (ほんだわけのみこと、応神天皇)
帯 中 彦 命(たらしなかつひこのみこと、仲哀天皇)
息 長 足 姫 命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)

本社本殿内陣の東側の「龍」の天井絵

本殿内陣の天井絵 右の「龍」

神徳

国家鎮護、必勝、家内安全、海上安全、交通安全、厄災消除、病気平癒、安産守護、他